会長コラム  (令和8年8月更新)

九州自閉症協議会(報告)  会長 長島謙二

 9月5日(土)、熊本市の「くまもと県民交流会館パレア」にて、九州自閉症協議会が開催されました。ご存知の通り、震災による多大な被害を受けたにも関わらず、熊本県自閉症スペクトラム症協会の皆様の熱い思いを受けて九州の仲間が集まることができました。
ありがたいことです。

 長崎、佐賀、福岡、大分、熊本から計10名、リモートで沖縄、宮崎から3名が参加しました。各県の活動状況を報告しながら、現状の問題点などについて話し合いました。異常気象の影響もあり、災害時の車中泊や避難所の件も話題になりました。障害当事者の特性や周囲の目もあり、避難所の活用は困難であるという意見が多く、熊本で被害の大きかった宇土市、宇城市、八代市でも自宅の敷地内で車中泊をしていたという報告がありました。福岡では、実際に車中泊体験をすることで多くの学びを得たという話もありました。

 また、成年後見制度については、今後2年以内に制度の大きな変更が予想されるということで、その推移をしっかり見ながら対応を考える必要があるということを確認しました。

 長崎ではできなくなった「年少療育キャンプ」を、佐賀と宮崎では実施しているそうで、学生ボランティア等の育成や自閉症を社会と繋ぎ、所属会員の繋がりを強固にするためにも再考する必要があるのではないかと思います。また、熊本の「民生委員児童委員啓発活動」は、自閉症の子どもたちを社会と繋ぐ意味でも大変参考になる活動報告でした。

 次回は、令和10年度に沖縄県で開催予定です。

 協議会の内容の詳細については、事務局にお問い合わせください。

生きている意味     長島謙二

 津久井やまゆり園事件から10年、犯人は、「意思疎通ができない人間は生きている意味がない。重度障害者は不幸しか作らない。」と言ったという。犯人自身は、他者との「意思疎通」ができていたのだろうか。「意思」とは、その人自身の考えや意向のことであるから、当然様々な違いが生ずる。その違いを正しく理解しようとするプロセスが「意思疎通」である。それは双方向でなければならない。障害があろうがなかろうが、人はそれぞれのやり方で、何らかの意思表示をしながら生きている。どんなに微かであろうが、喜怒哀楽を、自らの想いを表現しているはずである。それに気づくかどうかが「意思疎通」であり、相手を正しく理解するということではないか。
 社会的なコミュニケーションが苦手な自閉症児・者や発達障害児・者は、定型発達の範囲だけが社会を形成している基準なのだという思い込みによって、時に理解不能の烙印を押されてしまいがちである。そこには、真の「意思疎通」は成立せず、「共生社会」の実現などは有り得ない。この世に生きている一人一人の存在が、この世を形成しているのである。経済原理に囚われた共助の考え方では、障害者は役に立たないもの、厄介者でしかない。定型発達の枠が求める「普通」ではないかもしれないが、障害のある人が行うパフォーマンスの素晴らしさや、その存在あそのものが発する雰囲気がひとびとを魅了することも事実である。
 浅薄な考えによって奪われた尊い命に対して、改めて哀悼の意を捧げる。
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